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二代将軍秀忠の時代 |
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家康の三男。性格はいたってマジメで、誠実
女性関係においては、ほとんど噂のない男であった
どうやら正室であるお江与に頭が上がらなかったといわれている
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御台所・お江与 |
お江与は、織田信長の妹であるお市の方の次女である
姉はあの淀君
お江与は2度離婚をし、豊臣秀吉の命令によって26歳の時に秀忠と政略結婚させられる
秀忠は三人目の夫で17歳で初婚
女のプロ・お江与には頭があがらなかった
こうしてお江与と秀忠との間には三男・四女の子ができる
将軍生母であり、また正室なので、「大御台所」と仰がれ、確たる地位を保つ
ただ、春日局さえいなければ、幸せな人生であっただろうと思われる
お江与は、徳川将軍の正室の中で、唯一将軍を生んだ女性である
家光以降、将軍を出産するのは全て「側室」となり、「正室」はただの飾り物となる
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お静の方 |
マジメな秀忠が、ただ一度だけ浮気したのがお静の方
お静の方は大工の娘
家が貧く、縁があって大奥のお末として奉公することとなった
本来ならば将軍を見ることさせもできない身分の女中であったが、なぜか1度だけ寵愛を受けることとなる
そして妊娠
本来ならはすっごくめでたいことだけど、将軍の秀忠はめちゃくちゃ焦った
もちろん、お江与に怒られるからであります
お静の方は、お江与の怒りに触れるのを避けるため、大奥を出ることとなる
お静の方を匿ったのは家康の愛妾の妹
こうしてお静はひっそりと男児を出産
これが保科正之であります
秀忠は正之を一度も見ることなく生涯を終えました
が、家光の時代になると、家光は正之をとても気に入り会津藩を与えた
お静の方は、72歳で死にました
息子の保科正之が大名となり、大老にまで出世したのを見ずに一生を終えたのであります
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